マナーと文化の違いは区別しがたい
文化の差とマナーの違いを区別するのは難しいです。
国際社会でマナーと呼ばれるものは先進国によって決められている。
発展途上国も社会が発展するにつれて先進国のマナーを自分たちで守るほうが合理的な選択となる。列に並ばないなどの非道徳的行為は文化の差として許容されるものではなく、素養の悪さと解釈されるようになる。
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この本では国によるマナーに対しての考え方も文化の違いとされています。
例えば、友達のはさみを勝手に借りるのが普通の感覚の人と、たとえ友達でも他人は他人なので勝手に拝借するのはマナー違反だという軋轢が文化の違いによっておこるとされています。
問題になりやすい文化の違いの例
- 時間などの約束を厳守する度合い
- 物の貸し借りに許可が必要かどうか
- 年齢や収入など個人的な情報を尋ねる
- 嘘への許容範囲
- 人生観(結婚や親せき付き合い)
- 音を立てて食べ物を食べるか
- 人前でゲップや鼻をほじるか
また、文化の違いによって起こる問題を最小限に食い止めるには、先に文化の違いによるものだと気付いたほうが合わせれば良いとあります。例えば、勝手にものを借りられてもその人の文化圏から見ると悪いことではないと譲歩するべきだということになります。
先に気付いたほうが受け入れる
僕も確かにある程度正しいと思って、「気付いたら、相手を受け入れる」ということを心がけていますが、「これは受け入れるべきなのか」と疑問に思うことがあります。
例えば、中国のスーパーのレジで並んでいると、並ばずに平気で割り込んでくる人がいます。他の場所はわかりませんが、広州では並ばない客を店員が「並べ」と一蹴しています。電車やエレベーターでも下りる人を待たずに乗りますし、待つ間も並ばない人がいます。
並んでも電車やエレベーターが来ると我先に乗るので列は意味をなしていません。僕はこれを文化の差だから仕方ないとは思いません。彼らがマナーを守らない人たちだと認識しています。
地域によって違う常識
また、中国では街中でも店の前などで子供に小便をさせている親をよく見かけます。子供の小便で僕が直接受ける被害は少ないですが、文化が違うからしょうがないと受け入れることに違和感を覚えます。正直見苦しいです。そういう親たちは農村で育ち、そこら中が畑で立ちしょんしても問題ないのでしょう。
農村には別のルールがあるかもしれませんが、都市化に伴って必要になるマナーは、農村にはありません。都市化すると、人が増え、ルールを決めないと効率が悪くなるのです。東京に行くと、駅の通路で、左側通行と書いてあるのは、違う方向に歩く人がぶつからないように効率化するためです。
初めて東京に来てそのようなルールがわからない分には仕方ないですが、日本人の場合、多くがルールさえ分かればそれに従おうという意識があります。中国の場合、放送で「先下後上」(下りる人が先で、乗るのは後)と指示されているにも関わらず、守ろうとしません。
文化の差か、素養の差か
これを文化の差として見下したりせずに受け入れるべきなのか、或いは素養が悪いと批判することができるのかを区別するのは難しいと思います。僕の結論は現地人も許容できないものは文化と呼べないとしています。極端な話、ある国の犯罪率が高いことをその国の文化と呼べないとするのは、多くの人が納得できるでしょうから、このロジックから言うと列に並ばないことも文化と呼べないと見做すことも納得できるだろうと思います。
外国に長期滞在することのストレス
僕は最初は外国の生活習慣に合わせようと志を持っていましたが、旅行より長い期間外国にいるとストレスとなってきました。これも本の中で指摘されているカルチャーショックの一種なのでしょう。
外国語ができるとより深く理解できる
ところで、外国文化に触れるときに、現地の言語ができると理解が深まることは言うまでもありません。現地の言語で現地の人と話すことで、不可解と思える行動にも理由があることを聞いたり、受け入れたりしやすくなることは確かです。
日本に来る留学生と交流
ちなみに、この本の著者は大分県別府市にある立命館アジア太平洋、(APU)の教授です。僕自身一度この大学の学生と福岡の春節祭(中華の旧正月)で会ったことがありますが、みな良い雰囲気の学生さんばかりでした。イベントに参加している学生の多くが中国人、ベトナム人、インド人などの留学生であり、日本語の他に英語も使っていました。
<文化・留学生関連>