外国語を話せると言った時にされるよくある2つの反応

上手く以下の要求をかわせるようにネタを準備しておこうと思います。

外国語で何かを言わされる

会話の展開で、何々語を話せますと話すと、「話してみて」と言われることがあります。大体はどんな発音なのだろうとか、この人が外国語を話すとどんな感じなのか等の好奇心から聞くのでしょう。敢えて意地悪なことを言うと、「こいつの実力はどんなものだろう」と値踏みされているような感じがすることもあります。

 

話題がないと話せない

しかし、それは困ります。何の目的もなく言語を話すのは困難です。「方言で話してみて」と言われて何と答えますか?文脈を無視して、人前で面と向かって独り言のように言葉を話すのは脳が処理できないような抵抗感があります。

分かるように話しても反発がある

適当にHi.How are you?という文を言っても、相手が気を使って感激してくれるかもしれませんが、「そんなの中学生でも言えるわい。」と言われるリスクもあります。

また、明らかに通じない人に通じない言語を話すというにも感覚的な抵抗感があります。

言語ごとに雰囲気が違うから抵抗がある

それと、英語を話す時には日本語で話す時とは異なる雰囲気で話します。以前、外国人旅行者に対して英語で話していたところを日本の方に笑われたことがあります。

 

また、中国語やベトナム語などの言葉を話してあげても嘲笑されます。それは外国人に対して失礼です。外国人が日本語の発音を笑ったら、日本人として不愉快に感じるのと同じ理屈です。

また、私も不愉快です。発音とか話し方の雰囲気で笑う人がいますが、失礼ですね。

 

その一方で、英語と日本語で雰囲気があまり変わらずに話せる人はすごいです。バイリンガール ChikaさんMelodee Moritaさんがそんな感じです。

 

就職等の面接などでこのような要求がある場合は、自己紹介を話したり志望動機などを話します。このような場合、その言語がわかる人が面接に同席していますのでコミュニケーションとしての役割を果たしていますので、通常の言語活動と同じで、目的のある、相手のある発話なのです。

知っている単語や挨拶を唐突に言われる

何々語が話せますと言うと、ベトナム語なら「シンチャーオ」、中国語なら「ニーハオ」と言われます。特に、

  • ウォシリーベンレン(発音は悪いが私は「我是日本人。」と聞き取れる)
  • シエシエー!

と言われる時には「私も外国語知っているよ!」と言いたいのでしょうが、「私はバカです。」と言っているのと同じような感じします。

 

外国語を話す習慣がある人は言語を記号ではなく、人に対するメッセージだと思っていますので、こういうことはしません。

外国語は見世物ではない

こういうことを言うのは外国語能力を手品のような見世物だと考えているのかもしれません。別の例で考えてみると、HTMLが書ける人がHTMLで何かつくってみろと言われた時に、どの方向でサイトを造ればいいかわからないのと似ていると思います。

相手を軽視している

そのような外国語は私に対して言われたものではなく、誰でも良いから言いたかったことをちょうどよいサンドバッグを見つけたから言ってやったと感じてしまいます。

『外国語上達法』のp172に紹介されているダグラス・ラミス氏の体験に似ています。

ただし、外国語の単語を知っているということを人に言いたい気持ちはわかりますので、こういうことを言いたくなる気持ちも理解できます。

番外編

外国人らしき人(白人黒人南の島の人)を見ると「英語で話して来い」

私は先進国の都会育ちなので、見知らぬ人といきなり話せません。あっちも私のことを警戒することがあります。私はそこまで貪欲に他人を踏み台にして外国語を学びたいと思いませんし、そこまでして練習したいとは思いませんし、必要ないので結構です。

昔の投稿で関連したことを書いています:

外国人らしい人を見つけたらすぐに英語で会話するのには賛同できません