英語を学ぶ目的は英語を使って何か出来るようになることであるべきというのが私の考えです。不必要なことにこだわっている人は学習の目的を見失っていると言えます。
確かに「いや、楽しいから英語を勉強しているのであって、極論を言うならば英語ができるようにならなくても良いんです」という意見もあるでしょうし否定しません。学習は楽しいのでそれ自体を目的とすることに問題はありません。
ここでは英語を使うための学習を前提とします。また、学校での英語教育の後の英語学習を前提として考察します。
初学者には不要な高度なこととは何か
- ネイティブが使う自然な表現
- 言語構造の起源に関わる疑問
など。今思い付くのこれだけですが、他にもあるはずです。
自然な表現をこだわることの何が問題なのか
初学者はまず幅広く吸収すべきだからです。ここで指摘しているのはある程度の量の知識を蓄えている人のことではなく、一通りの文法も身に着けていない段階での話です。
知っている単語が少ないのに一言二言アメリカ人みたいな口調で言えても、英語を話せることにはなりません。
日本語を学ぶ外国人でたとえて考えると、「マジやべーし」という現代の若者が実際に使う表現は使えるのに、それ以外はほとんど喋れないことと同じです。
最初から上手には話せません
英語を自然に話せるようになるには少なくとも2年はかかります。それまではどこか欠陥のある英語でやり通すしかないのです。
アメリカ人の子供ですら、必ず不満足な英語を話しながら覚えていきます。最初からいきなり大人レベルの英語を話せるなんて旨い話はないです。訓練して上手に話せるようになってから実践に進もうと考えているといつまで経っても準備は終わりません。自動車運転と違って初めの段階から路上運転に出たほうが良いです。
間違うことが怖い
「ネイティブに笑われたくないように備えたい」という意見を見かけますが、英語の話し方が原因で軽蔑されることはかなり少ないですので、怖がらなくても大丈夫です。
失敗を恐れる気持ちも理解できます。稚拙なレベルでも思い切って英語を話す経験を積んでみないと、笑われない確率が高いということはなかなか受け止められない構造になっています。
また、笑われるという恐怖ではなく英語を格好良く話す自分になりたいという願望も原因かもしれません。これについては改めて深く考えるつもりです。
言語に対する深すぎる疑問
例えば
- なんでbe動詞はam、are、isと決まっているの
- 三単現のsはなぜ必要なの
- ing形に活用する時になぜeを除去するの
確かに気になることなのですがこれを知ったところで英語が上手になる訳ではありません。このような質問をする人は豆知識を集めることが目的になっていているように思えます。
ここに挙げた例は極端ですが、疑問の本質としては同じような疑問がたくさんあります。
脱線しても前進
時間効率を考えたら、無知草を食わずに真っすぐ進むのが良いのは当然ですが、人はどうしても寄り道したくなるのも理解できます。
ただ、寄り道を寄り道だと認識していないのは不味いです。