外国語と僕の歩んできた道1

小学校

近所の英語ができる主婦の方に二、三か月英語を習う。ちょっと英語の音に慣れたが、その後もその効果が持続したかは不明。

英語の教師が小学校に来る前日は、子供用百科事典で動物の英単語を調べる。その頃既に外国語に興味がある兆しが見られる。

中学

一年生で英語を始めたばかりなのに、4か月後のある放課後にアメリカ人の先生を見かけた際にちょっとおしゃべりした。「今から帰るのですか?僕は家に帰ります」程度の言葉だったが、外国語を話すという興奮を初めて味わった。

部活引退後、英語を学ぶために、職員室の先生にお願いして放課後に一、二時間おしゃべりした。結局2回くらいでやめました。

高校

英語を覚えるために7月に部活を辞める。今考えれば、辞める必要もなかった。

高校のALT(外国人)の先生に個人的に習う

家庭科の成績が悪く、夏休みに補講を受けた際、先生に「部活が忙しかったから成績が悪かったのではないなら、一生懸命英語の勉強をしなさい。来たばかりのアメリカ人の先生が職員室にいるからお話させてもらいなさい。」と言われたのが悔しくてがんばる。その後、時々、職員室でアメリカ・オーストラリアの先生とおしゃべり。

英語を自習

8月末からほぼ毎日NHKラジオ講座を二つ(上級とビジネス)聞く。父に月謝を出してもらい9月から英会話教室に通い始める。音楽が好きで、洋楽のCDをレンタルしまくり、合計100枚くらい聞いた。そこでも英語に触れていた。学校の図書館にある学習者用洋書を30冊ほど読んだ。

学校以外で使った体験

高校3年の9月に、福岡アジア美術館で香港人芸術家と知り合う。これが人生の転機となる。アジア美術館では外国人芸術家や研究者を招へいし、市民と交流してもらうプログラムがある。芸術家たちは美術館2階(リバレインビル8階)奥の作業室にいたり、関係者のみ立ち入り可能な部屋にいたりする。

 

2006年後半に、福岡に来ていた芸術家研究者は香港、ブータン、バングラデシュの出身でみんな旧イギリス領だったことも興味深かった。そこで特に香港に興味を持った。外国語大学に行きたいことは決めていたが、専攻言語はずっと決めていなかった。香港に興味があったため、広東語、或いは中国語を専攻しても良かったが、広東語を専攻できる学科はなく、中国語は学習者が多く、独学でも学べると思った(実際に独学で習得した)。アジア美術館の展覧会で見たベトナムに興味を持ち、調べてみると将来性があることがわかった。

当時の予測は現時点では当たっている。中国の日系企業の内、ベトナムに工場を建て製造を移管する話はよく聞く。タイやカンボジアとは違い、ベトナムは政治的に安定している。自然環境に関して今のところ、タイやバングラデシュの洪水のような話は聞いていない。食事はあっさりしていておいしい(中国料理は油が多い)。国民に反日感情はなく、寧ろ親日的。但し欠点として、労働者が集まりにくいとは聞いている。また、インフラの整備もこれからの発展がカギとなるだろう。不透明なお金は多少なりともあるらしい(他の国にも日常的にあるだろう)。普通の日本人が住むには娯楽が少ない。


外国語と僕の歩んできた道2 - 日本人多言語話者の外国語学習法