言語による単語の表現の違い、感覚の違い

中国語では、電球の電気を「開く/閉じる」と言います。日本語と違います。この様に様々な場面で言語によって表現が違います。よく考えてみると、日本語の電気を消すやパソコンを消す(電源を切る)の「消す」のほうが大げさで、世界の言語の中でひょっとしたら特殊かもしれません。

外国語に影響を受けた日本語

ポルトガル語では「信号が青になる」ことを「信号が開く」と言うそうです。それにつられて、日系ブラジル人がコロニア語(日本語)を話す時にも同じように言うそうです。ソースは『ブラジルのポルトガル語入門』p223。

方言による差

この程度の差であれば、日本国内の方言でも見られます。関西だけでなく、西日本各地で「しまう、片づける」ことを「直す」がカバーしているのは割と有名です。

いや、これは別の現象なのかもしれません。この辺は社会言語学がカバーしている範囲です。

英語も独自の範囲がある

英語のseeは「見る」と、「会う」の両方をカバーしています。私はこれは特殊だと思います。一方で、日本語の「見る」を英語ではsee、look、watchで区別されます。

また、中国語で「看(見る)」は「看書(本を読む)」をカバーしていますが、英語のような「人に会う」で使えず、「見」を使います。

最初から馴染みの深い英語を例に挙げなかったのは、英語は全て正しい標準的な存在だと思い込んでいる人が多いので、準備として他の言語から始めました。英語以外の言語を学ぶと、客観的に英語を見ることができると思います。

表現のあいまいさの差異

日本語では「だと分かった」を省略

「部屋に戻ると、部屋が片づけられていた。」を英語や中国語などで言うと、foundや发现(發現)を使って「(されていることに)気付いた」と表現します。

「試す」と「食べてみる」の比較

英語では try sushi と言いますが、日本語では「食べてみる」のように

過去記事:日本語では「試す」があまり使われない

呼び方の決まりの違い

ベトナム語では、チャットやメールなど、ネット上で話すことを「会う(gặp)」と言います。これは単語の違いというよりも、感覚の違いと言えると思います。

大学の言語学の授業で使った教科書です。日本語や様々な言語での興味深い現象が紹介されています。