よく観察してみると、言語によって表現の細かさが違っていて面白いです。
「ハンバーガーが食べるのが好き」と表現する言語
日本語では
- ハンバーガーを食べるのが好き
と言わず、
- ハンバーガーが好き。
と表現するのが自然です。しかし、「食べるのが」とわざわざ明示することが多い言語もあります。中国語やベトナム語などでは、このように書く方が多いです。もちろん、日本語のように「食べるのが」と言わなくても意味は十分通じます。
中国人にこの件について話すと、
「ハンバーガーに関して何が好きなのかは様々な可能性がある。例えば、ハンバーガーを作るのが好きで、食べるのが好きではないかもしれない」
と言っていましたが、本当にこれが原因で「食べる」を明示するのかはわかりません。単なる習慣で「食べる」を明示しないとすわりが悪く感じるのかもしれません。
日本語でも「食べるのが」とはっきり言う場合もあります。例:
- 洋楽は聞くのは好きだけど、歌うことはない。
英語の場合は、基本的にはどっちの言い方も見かけます。
「あのハンバーガーを試したほうがいい」と表現する言語
日本語の
- 食べてみる
は、英語や中国語などでは単純に
- to try
- 試試(嘗嘗、嘗試)
のように「試す」単独で表現され、「食べる」と表現しない方が普通です。「食べる」に限らず、「飲む」など体験すること全般に当てはまります。
英語の表現で以下のようなものは見ることが少ないと思います。
- You should try eating sushi in California.
代わりに以下の表現(に似たもの)を良く見ます。
- You should try sushi in California.
- (話の流れの中で)You can give it a try.
しかし、日本語では「試す」だけで表現せずに、「食べてみる」や「食べたい」などで表現するように「~みる」を使うか、或いはtryに近いニュアンスの言葉を全く使わない場合もあります。